コラボレーション

Collaboration

2021年4月2日

“職人の技と場所”を途絶えさせないために。

ニッター|大城 盛文さん

貴重な機械が並ぶ、唯一無二の工場

「日本茜を拡げる会」の拠点でもある泉北郡忠岡町で、50年以上ニットをつくりつづけている大城 盛文さん。

その昔、忠岡町にはたくさんの工場がありましたが、ほとんどが住宅になり、今では大城さんの工場を含む数軒だけがひっそりと佇んでいます。

大城さんの工場に足を踏み入れると、そこには所狭しと、年季を感じさせる機械が。

なかでも50年選手の機械は、とっくに生産が中止されたもの。部品がひとつでも壊れたら稼働しなくなるのだといいます。

でも、この機械でしかつくれないものがある。少しでも長く動いてくれることを願いながら、大城さんは今日も機械の前に立ち、ひとりで工場を切り盛りされています。

クリエイターたちの駆け込み寺として

そんな貴重な機械の使い手である大城さんのもとには、メーカーだけでなく、芸大の先生や学生さんなど、老若男女さまざまな人が訪れます。

持ち込まれる糸もさまざま。つくりたいものもさまざま。でも、どんなに扱いがむずかしい特殊な糸も、大城さんは「ほな、やってみよか」と二つ返事で受け取り、作品をつくり上げられます。

大きな会社や工場ではできない小ロットの紡績も、挑戦的な作品づくりも、大城さんならかたちにしてくれる。大城さんの存在は、多くのクリエイターにとってなくてはならないものになっているのです。

日本茜を、この場所が続いていくきっかけに

そんな大城さんの手による茜染め作品第一号が、ニット帽です。

「この茜染めの糸で、なにか帽子をつくりたい」そんなおおまかなお願いも、大城さんはやっぱり「ほな、やってみよか」と、ご快諾。アラン模様に編み上げ、さらに後染めをすることで、なんとも奥行きのある個性的な表情がうまれました。

大城さんいわく、日本茜でオーガニックの糸を染めると、すごくきれいな色が出るのだとか。

今年で72歳の大城さん。「元気のもとは酒だ」と笑いながら仰いますが、日々試作を重ね、どんなオーダーにも応えようとする、その意欲や姿勢も若わかしさにつながっているのだと感じます。

大城さんの工場は、新しいものをうみだす場、そして工芸と工業をつなぐ場でもあります。この貴重な場所と大城さんの技術は、なんとしても途絶えさせてはいけないものであり、日本茜にそのお手伝いができないかと私たちは考えています。

たとえば茜染めの糸を使ったニットづくり工場体験などを通じて、未来へとつながるような若いつくり手との出会いが生まれれば…。

日本茜は、単なるモノではない。ヒトが集まり、コトをうみだすきっかけにもなることを信じて、私たちは大城さんとともに、ニットと日本茜の可能性を探りつづけていきます。

ニットキャップ

大城ニット|大阪府泉北郡忠岡町

日本茜染めの純毛100%の毛糸を
オーソドックスな模様でしっかり編み込んだ
「日本一小さな町」忠岡町生まれの
やさしいカラーが印象的なニットキャップです

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