農地活性への
立役者

日本茜

農家の嫌われ者を農産物へ。

アカネ科に属する、つる性多年生植物の『日本茜』。

別名では「赤根」。

年を経るほどに根が赤くなり、
煮出すと赤い色が滲み出すことから赤根とも表現します。

茎は四角で棘があって節から4枚、十字に葉が生えています。

本州、四国、九州に自生する多年草にも関わらず、
探そうとするとなかなか見つからなくて、
見つけてもその「赤根」を掘り出すには至難の苦労がつきまといます。

平坦な処には生息せず、大木の太い根の狭間で成長したり、
岩や石ころの多い斜面の片隅で岩に根を沿わせながら我慢強く生きている。

だから、染織師でさえも『日本茜』を扱ったことがほとんど無いのです。

茎や葉に細かな棘があり、節から根を生やし、草や枝を引っかけながら伸びていく。
その特徴から、農家に嫌われる存在の『日本茜』ですが、

実は、「忠岡町」・「岸和田市」・「福知山市」この3自治体だけは『農産物』となっています。

名も知られぬ脇役だった『日本茜』も、
その生命力や特徴を理解し活用すれば、農地活性の主役になり得るのです。

たとえ日陰の存在でも、視点を変えればきっと光の当たる存在になる。

『日本茜』を通じて、伝えていきたいメッセージのひとつです。

日本茜の基礎知識

日本茜の栽培環境

  • ポットによる栽培
    ポットによる栽培
  • パイプによる栽培
    パイプによる栽培
  • コンテナによる栽培
    コンテナによる栽培
  • 木箱による栽培
    木箱による栽培
  • マルチによる栽培
    マルチによる栽培
  • 遮光による栽培
    遮光による栽培

歴史

古代と未来をつなぐ色彩文化

  • 弥生時代
    Photo:Saigen Jiro CC 0/File:Yoshinogari-iseki zenkei.jpg

    弥生時代
    Photo:Saigen Jiro CC 0/File:Yoshinogari-iseki ichi.jpg

    弥生時代

    吉野ヶ里遺跡から出土した織物の一部から日本茜の色素が検出されています。『 魏志倭人伝 ぎしわじんでん 』によると2世紀~3世紀頃に実在したとされている邪馬台国の女王卑弥呼が魏の王へ「 絳青縑 こうせいけん 」(赤と青の絹織物)を献上したと記されています。「絳」は「あかきねりぎぬ」、即ち「茜染めの 絹布 けんぷ 」であることから、この時代には既に日本茜で 緋色 ひいろ (やや黄色みのある鮮やかな赤)を染める技法が完成されていたようです。

  • 飛鳥時代
    Photo:佐野滋 -『図説大津の歴史 上巻』public domain/File:Emperor Koubunn.jpg

    飛鳥時代

    中国の律令制に なら い、7世紀後期には日本でも中央集権国家が成立します。日本の律令制では、位階に相当する服色が決められ、茜色系はどの世代でも常に上位に制定されていました。

  • 奈良時代
    Photo:ReijiYamashina CC BY SA 3.0/File:Genryaku Manyosyu.JPG

    奈良時代

    8世紀後期に完成したとされる日本に現存する最古の和歌集「万葉集」では、“あかね”は“茜・赤根・安可根”などで表現され、人気のある枕詞として登場しています。代表的な和歌では額田王の「あかねさす 紫野行 むらさきのゆ 標野行 しめのゆ 野守 のもり ずや きみ 袖振 そでふ る」などがあります。

  • 平安時代
    写真:武蔵御嶽神社所蔵 赤糸威鎧

    平安時代

    こちらは、 武蔵御嶽神社 むさしみたけじんじゃ (東京都青梅市)に国宝として大切に保管されている12世紀後期の 赤糸威鎧 あかいとおどしよろい です。 武蔵国府の最高権力者であった畠山重忠により奉納されたと伝えられています。この鎧の赤糸は、当時の植物染料として使われていた日本茜で染められており、1,000年近く経った今でも鮮やかな赤色を保っています。しかし、その染色技術は伝承されず、明治36年の補修では鉱物染料で染められ、現在はその部分が退色しています。 (あけ)・ 深緋 こきひ (こきあけ)・ 浅緋 あさひ (あさあけ)の緋は茜で染めた色を指し、赤の色素であるプルプリンを高純度に精製した色ですが、 蘇芳 すおう (インド・マレー諸島原産の小高木)の輸入により赤色を容易に表現できるようになったため、茜染めはやがて途絶えていきました。

  • 日の丸
    Hagiwara, Kōichi. 図説 西郷隆盛と大久保利通 public domain/File:ShoheiMaru.jpg

    江戸時代

    19世紀中頃の黒船来航の直後に「日の丸」が船舶用の国籍標識として導入され、その後は船舶に限らず日本を示す国旗として制定されました。 実はその「日の丸」の赤色が筑前茜染めの技法で染められていたのです。しかし、現在の国旗の赤色はマンセル表色系で「色相3R・明度4/彩度14」と決められており、残念ながら初めて日本茜で染められた色が踏襲されていないのです。

染色

茜色が秘めるポテンシャル

「茜」と聞いて、皆さんはどんなことを思い浮かべますか?

万葉集の和歌でしょうか?
それとも、生薬の茜草やトンボのミヤマアカネ?
そういえば、あの子の名前が「茜ちゃん」!?

「茜」=西空の色を染める草。

思い出してみてください。夕焼け空(あかね空)の景色を。

太陽が沈む周辺の黄の色から雲の表情によって、橙の色や赤い色が空に広がり、
雲が厚くなっていくと紫の色が見え隠れする。

このような情景の色を、日本茜の「赤根」を煮出した液で表現する事ができるのです。

一般に「草木染め」というと、繊維類(綿・麻・絹・毛など)を染めるもの、
と思われるでしょうが、実は『日本茜』は意外や意外、
皮革やなんと油まで、工夫をすれば何でも染められる優れた植物染料だったのです。

  • 絹
  • 綿
  • ウール
  • ラフィア
  • 本革
  • 貝
  • 和紙
  • 合皮
  • オイル

これまで、様々な検証や分析を繰り返してきましたが、

  • 煮だす時間や回数、根や茎の部位により色が変化すること
  • それによって、昔の人では出せなかった「黄色」や「紫色」、「金色」が出せること
  • 1000年以上経っても色褪せない美しさ
  • 100%自然由来のハンドクリームや口紅、化粧品、顔料(絵具)への活用
  • 古代には、漢方薬や婦人病薬として使用されていたので薬への応用も?

これらのように知れば知るほど、新しい発見に出会う日々です。

今では、そのポテンシャルに惹かれ、
国内のみならず海外(自国で他の染め物に従事されている方)からも、
ワークショップに来られる方々がいらっしゃいます。

『日本茜』がもつ無限の可能性。

それは、ヒト・コト・モノとの組み合わせでどんどん広がっていくと信じています。